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【無職の哲学】「無職は死んだ」 無職は何のために生きるのか。

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無職は時間があるので、余計なことまで考えてしまうのだ。

哲学に興味を持つ無職

無職は暇である。

のんびりYouTubeを見ていると、哲学に関する動画に出会った。

 

面白かったので何本か見ていると、

哲学者「フリードリヒ・ニーチェ」の著作「ツァラトゥストラ」の

解説動画に夢中になってしまった。

 

その内容を今の僕の状態と照らし合わせてご紹介したい。

※解説動画を見ての僕の解釈なのでご注意ください

 

 

「神は死んだ」

このワードは何となく聞いたことがあるのではないだろうか。

科学の発達によって、これまで信じられてきた宗教(神)の存在が

絶対ではなくなったという意味らしい。

 

これまでは「神の教え」に従って生きていれば

天国に行けるなど日々の生活に対する指針があったのに、

それが失われた=「信じるものがない状態」になってしまうと

人間は何のために生きているのかわからなくなってしまうとか。

 

こうした生きる意味を見い出せない状態を「ニヒリズム」というらしい。

 

これを無職に当てはめてみる。

これまでは「会社で働く」という絶対的な生き方があったのに

それがなくなってしまうと、毎日何のために生きているかわからなくなってしまう。

 

いや、会社で働いていたときも別に何のために生きているかはわからなかった。

日々忙しくて、そんなこと考える余裕がなかっただけかもしれないが。

 

だが、仕事への使命感や達成感、自己満足感などはあった。

 

「今日はこれを頑張った」

「明日はこれをしよう」

という前向きになれるものがあれば、人間は生きている意味を感じるのか。

 

「明日も頑張らないと」

「明日はこれをしなければならない」

というのが強すぎるため、現代社会は生きにくいのかもしれないけど。

 

ちなみに僕が人生で生きている意味を感じたのは、娘が生まれた瞬間だ。

「命の繋がり」を感じ、「このために生物は生きているのか」と思った。

 

人間であろうと、動物であろうと、虫であろうと。

 

 

「末人(まつじん)」

ニヒリズムが続くと、将来に対し希望がなくなり、惰性的に生きる人になる。

それが末人と呼ばれる状態だ。

「最後の人間」とも言われるようだ。恐ろしい表現である。

 

無職はまさにこれであろう。

「再就職に向かって頑張る」という希望も、絶望に変わる人もいる。

「もう無理だ、何もしたくない」と心を折られ惰性的になっても仕方がない。

 

恐ろしい。

やはり前向きに生きるための何かが必要な気がしてきた。

 

 

「超人」

そんな末人ではなく超人になれというのだ。

超人とは、自分の意思で人生を生きる人のことのようだ。

 

どうやったらそんなすごい人になれるのか。

超人へのステップアップとして、3つの段階が紹介されている。

 

★その1:ラク

重い荷物を背負って、我慢して歩くイメージ。

大変かもしれないが、それを乗り越えることによって自分の強みを得る段階。

これは社会人であれば下積み時代のようなものか。

とりあえず先輩の言うことを聞いて、教えられるがままに一生懸命頑張る。

泣きたくなることもあるかもだが、それを乗り越えることにより

一人前の社会人へと成長していくのだ。

理想を語るには、まずは実力を付けねばならない。

僕も20代はこんな感じだったと思う。

 

★その2:獅子

窮屈からの解放、権力への反抗、独立のイメージ。

実力が身につけば、自分のやりたいように仕事ができる。

多少は自我を貫いても会社から文句は言われない。

誰かに命令されずとも独立して働ける状態であろう。

僕も30代のころは、かなり我がままに働いていたと思う。

 

★その3:幼児

想像力で自由に遊ぶイメージ。

誰からも、社会からも、ルールにも束縛されず

自分がやりたいように自由に生きている状態か。

僕も40代以降はこうなりたいものである。

(自由の裏には大きな自己責任があるけど)

だが、普通の人はまだまだ働くことに縛られ続けるのだ。

 

 

無職になると、またラクダから再出発していかねばだが、

しんどい思いをして生きていかなくてもいいなら、楽するラクダでいい。

オアシスに住むラクダは頑張らなくてもいいのである。

 

いつそのオアシスが枯れるかはわからないけど。

 

 

運命愛

「人生の全てを受け入れ、肯定せよ」という意味らしい。

 

無職の人生を受け入れるのは僕にはまだ難しいが、

以前のブログにも書いたが、やはり「無職の向こう側」にたどり着かなければ、

無職の全てを肯定することなどできない。

 

無職というゼロを維持する状態に、

前向きさという+1を積み重ねていく状態を掛け合わせるのは相反する行動だが、

それを実現したときに無職の向こう側が見えてくるのだろう。

 

それが見えたら、もう元の世界には戻れないであろうが。

 

 

まとめ

結局、無職であろうがなかろうが人間生きていくことに悩むのは同じだ。

最終的には死ぬまでにどう生きていくかだけの違いである。

 

 

今このブログを書いているのも、朝起きてからお昼ご飯までの暇つぶしにすぎない。

人間何かやってれば安心して時を過ごせるのだ。

多くの人にとってそれが会社で働くこと=仕事なのだろう。

 

だが無職に仕事はない。

安心して過ごせる時間を自分で考えていかねばならないのが大変なのだ。

 

無職として生き続けるのは、サラリーマンより全然難しい。