【無職の金稼ぎ】高卒底辺フリーターが副業で少しばかり稼いだ話
本業+副業で稼いできた
僕は高卒フリーターだった。
生まれて初めてやったバイトはスーパーの野菜の品出し。
時給は850円だった気がする。
それから色々あってMacを購入し、PhotoshopとIllustratorの使い方を覚えた。
そこからはパソコンスキルを使って本業はもちろん、副業でも稼いできた。
なぜ副業を始めたかと言えば、仕事を個人的に頼まれるようになったからである。
最初は先輩の結婚式のビデオ撮影や編集、上映するDVDなんかをよく頼まれていた。
そこから連鎖的に口コミや紹介で仕事が舞い込んできたのだ。
数万円のギャラが多かった。
一度金持ちの先輩の結婚式関連の仕事で20万円を請求したことがあったが、少し罪悪感も生まれた(その人は何も言わずポンと払ってくれたけど)
このころは自分の仕事に価格をつけることに慣れておらず、知り合いからお金をもらうことに戸惑いもあった。企業案件もあったが、間に入ってくれる人がいたので、ビジネスマナーなどがほぼない自分でも何とかこなしていくことができた。
これからフリーランスのように自分単体で仕事をやろうとしている若者は、作業スキル以外のことも身につけていかなければ痛い目に遭うと思うので気をつけよう。
僕も仕事をしたのにお金をもらえなかった経験が何度かある(泣)
以下、僕がこれまでに体験した副業での稼ぎ方の一例をご紹介する。
そこまで胸を張って言えるほどの額を稼いだわけじゃないし、今となっては化石のような手法だが、何かの参考になれば幸いである。
ネットプリントとの出会い
15年ほど前、20代半ばくらいであろうか。
社内で印刷物のデザインデータを作り、自社の印刷機や裁断機でチラシやポスターなどを作る会社で働いていた。僕はデータを作り印刷するまでの仕事だ。
裁断は営業が行っていたのだが、僕はそうした作業にも興味があったのでちょくちょく手伝っていた。するとある時、綺麗に裁断された大量の印刷物を見つけた。「これ上手に出来てますね。しかもこの数だと大変だったでしょう」と話すと、ネットで注文し完成品が届いただけだと言うのだ。
データを送れば注文通りに仕上げてくれるネットプリント。
営業は手間をはぶくためにこれを利用したのである。
今ではネットプリントなど当たり前であるが、当時はそうした会社の黎明期だったのである。僕はその存在をちゃんとは知らなかった。
僕は自分で印刷業をやるには、自分で機械などを揃えねば出来ないと思っていたが、簡単に外注でき、価格も明確化しているネットプリントの存在を知って衝撃を覚えた。紙や機械といった在庫を持つことなく、印刷費に自分の作業費を上乗せすれば儲かるのだ。
「これがあれば自分で仕事を取ってきて自分で金を稼げるぞ」
そう直感したのである。
初めて営業してみた
仕事を取ってくるには営業をしなければならない。
だが僕は営業なんてやったことないし、そもそも人見知りだからパソコンに向かって仕事をしているのだ。ネクタイをする仕事もしたことがない。
いきなり「営業しにきました!」はハードルが高すぎる。
僕はある作戦を考えた。
まずはよくいく飲食店に置いてあるショップカードを手に入れる。
それを自分なりにアレンジし、勝手に作るのだ。
そしてお会計の後「このお店が好きなので作ってみました。よかったら使ってみてください」と店長に差し出すのだ。もしかしたら気に入ってくれるかもしれない。
「そんな簡単にいくわけないだろボケ!」
と思われるかもしれないが、一発で上手くいった。
ビギナーズラックである。
この店長、自分で言ったものが形になって出来上がってくるのが楽しいのか、色々なものを頼んでくれた。紙媒体以外にもグラスやライターなどだ。
そこで僕もillustratorでデータさえ作ってしまえば、対象の商品に印刷してくれる会社がネット上にたくさんあることを知った。IT時代と騒がれていたころだったが、ようやく僕もその意味がわかってきた。
さらに、その店長から請求書の書き方なども教えてもらい、個人事業主として商売する基本を学んでいったのであった。(ずっと会社員としても働いている)
お金がないところからは、お金は取れない
個人を相手に始めた副業が、飲食店などお店単位との取引となり多少売上が上がってきた。
だが、まだお小遣い程度の稼ぎである。
もっと稼ぐにはどうしたらよいのか考えてみた。
まず単純に「お金がないところからは、お金は取れない」と悟った。
例えば一般の人から何十万円も得るのはなかなか至難の技だ。
やはり大きな会社を相手にしなければ、単価を上げることはできない。
(当たり前の話だが、実際にやってみて気が付くことはたくさんある)
また、僕がやっていたグラフィックデザインの仕事は、
「データ制作費+印刷費」で請求することとなる。
データの部分はセンスなどで差別化できるであろうが、僕には芸術家のような一流のセンスがあるわけではないし、ちょっと良さげだからといって通常の何倍もの金額を請求することはできないであろう。
だが印刷費は別だ。
100部作るのと1万部作るのでは、売値が異なってくることは誰もが理解してくれる。
ここに数字のトリックを見出すことができた。
実際に印刷する部数がいくつであろうとも、僕が作る元のデータは一つだけだ。
100万部だろうが、1億部だろうが僕の作業量は変わらない。
印刷する作業も発送する作業も印刷会社がやってくれるので、僕は何もしなくていい。
でも100部と1万部では「乗っけられる金額」が違うのである。
例えば100部と1万部では100倍違うわけだが、印刷費用(原価)が100倍も違うことはない。
(大量に印刷するほど、1部あたりの単価は下がっていくため)
だが、その知識がない人であれば、仮に100部で1万円の場合、1万部なら100万円と言われても「部数が10倍になったからな」と思うのである。
また、数字が大きくなると感覚がよくわからなくなる。
両手で持てるくらいのチラシで100万円と言われたら高いと思うが、大量の段ボールが積み上げられた光景を見ればそんなものかと思うかもしれない。
ラーメンが3000円(原価300円)で売られていたら高いと思うが、ダイヤモンドが輝くアクセサリーが100万円(原価10万円)で売られていてもそんなもんかと思うのではないだろうか。不動産も同じ感覚である。適正価格がイメージしにくいものは、高値をつけやすい。
やはり稼ぐためには大きな数字が動く環境でなければダメだ。
大量に何かを印刷する会社…
広告をたくさん出す大きな会社…
しかもそんな会社と個人レベルで取引をするには…
この辺に狙いをつけ僕はまた新たなる作戦を発動し、お客さんを見つけたのだ。
(この辺は書くとマズイ気がするので省略する)
稼げた理由
僕がやっていたことは、世の中に同じことができる人がいくらでもいることだ。
僕以上のクオリティを持っている人など星の数ほどいる。
その中で僕が稼げた理由を考えてみた。
人の懐に潜り込めた
当時僕は20代後半、子供の頃から年上と遊んでいたりしたからか、パシリ根性が磨かれており、目上の人にペコペコし気に入られることがよくあった。
仕事を発注する側も、お願いするように頼まなきゃいけない相手より、頭を下げて近づいてくるやつに仕事を与えた方が気分がいいし、やり取りも楽だろう。
こうして僕は仕事量を増やしていった。
(中年フリーランスの仕事が減っていくのは、この逆が理由であろう)
担当者の金銭感覚がザルだった
これまでは個人や社長とやり取りをしてきたが、大きな会社だとそこの社員とのやり取りとなる。つまり自分のお金ではなく、会社のお金を動かすサラリーマンだ。会社に損失があろうが自分の懐は痛まないのである。
僕はそんな担当者に見積もりを出していたのだが、まあ簡単に通った。
ほぼ言い値である。
おそらく、その見積もりが高いか安いかも考えていなかったと思う。
それなりの規模の会社だったので、印刷物程度の金額だと何の抵抗もなかったからかもだが。
同業他社と比べられてあまりにもぼったくった金額だと、バレたときに契約を切られるかもしれないのでほどほどにはしておいたが、そもそも僕のような個人事業主は事業を運営するための経費が全くかかってないので、同業の会社と同じくらいの見積もりでも余裕で稼げるのだ。利益率は80%くらいあったと思う。
データを右から左に流すだけのわずか5分の作業で、利益が10万円なんて仕事もあった。たいしたことない仕事でも、その会社にそのノウハウがなければ外部に頼むしかないのである。そこにいる社員も「会社のために自分が出来るようになってやろう」と勉強もしない。そんなことをしても余計な仕事が増えるだけで、給料は増えないからだ。経営者は現場の細かい仕事内容など見ていない。
たまに見積もりもなく、好きに請求書を出す時もあった。
当時はアベノミクスもスタートし、景気がよかったからかもしれないが適当すぎるだろと思っていた(その後、景気の悪化に伴いだんだんと厳しくなっていくのだが)
細く長く商売を続けていくことも大切なことだが、稼げるときにガッツリ刈り取ることも忘れてはならないだろう。
次につなげていけた
まあ、こんな美味しい状態はすぐ終わるだろうと思っていた。
運が良くて3年かな?くらいに思っていた。
それが10年ほど続いたのは、かわいがってくれる人を次々と見つけていったからかもしれない。
仕事を与えてくれる人間関係が構築できた人ともいつかはお別れがくる。
別の部署に異動するかもしれないし、会社を辞めるかもしれない。
突然仕事が切られる可能性はいくらでもある。
僕も何度も「これで終わりか」と思ったことがあったが、運良く次につなげることができていったのだ。日頃から色々な人にペコペコしていた効果だろうか。
とりあえず長期で同じところから仕事がもらえたのはラッキーであった。
まとめ
他にも色々な副業をやったが、このデザイン印刷業が一番儲かった。
やはり広告やデザインといった、形がないものを売る商売は儲かる。
確定申告をすると、所得税や予定納税で会社の年収以上になっていた。
いまはランサーズなどで手軽に仕事を見つけることができるが、あれでは美味しく稼ぐことは出来ないし、作業単価がどんどん下落していくのではないだろうか。
ビジネスの旬などわずかな時間である。
そりゃ毎年たくさんの会社が潰れていきますわ…
◆
ウシジマくんが「人生金が全てじゃない、だが全てに金がいる」と言っていたが
本当にその通りである。
高卒フリーターの僕は、まともに賞与がでる会社で働いたことはない。
副業をしなければ決して人並みの生活はできなかったであろう。
マンションを買ったときは「俺もこんなところに住めるようになったんだ」としみじみしたものだ(離婚して売っちゃいましたが)
たいした能力や実績もない自分がこれだけ出来たのは、本当にラッキーだったと思う。
これがなければ、今も都会で地べたを這いつくばって働いていただろう。
今は個人が稼ぐ手段がたくさんある。誰にでもチャンスがある時代だ。
(その分、ライバルが増えたかもだが)
とりあえず何かを続けていけば、
最初と思ったところとは違ってもどこかにたどり着けるかもしれない。
あの時の気持ちを忘れず、これからも何かをしたいものだ。
(するかなあ…)